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ちょっと前、ラジオのリスナーとの電話で『山形にも来てくださいよー』との声にスネオヘアーは、『だって山形、ライブハウスないじゃん』とか言いやがったけど、あるよ。
山形のミュージック昭和セッション(MAX300人)と
酒田のMUSIC FACTORY(MAX250人)の2カ所。
……一応、あるよ(弱気)
山形南校から徒歩5分のところに「ミュージック昭和」っていう楽器とかCD売っているお店があって、その20m位離れた所にホール&スタジオがある。それが「ミュージック昭和セッション」。
この「ミュージック昭和セッション」は、銀杏の峯田とあびちゃんが初めて会った場所ですよ。大学1年で山形に帰省していた峯田(当時童貞)と、セッションで300人集めてワンマンライブしていた高校3年のあびちゃん(当時童貞)。
それから約11年後。
2007年10月6日の昭和ミュージックセッションも満員でした。
BEAT CRUSADERS tour ''EPop MAKING SENSE 2007''
14℃とちょっと肌寒いなか(半袖Tシャツ着ている人は寒さに震えながら)、駐車場で整理番号順に並んでいる所に、ギターを持った少年や少女が自転車でやって来てた。彼らは練習スタジオのある2階まで行って、寒さと期待に震えている大人達を面白いものを見るように笑いながら見ていた。
300人しか見られないライブ。
ビークルのTシャツ着ている人がほとんどだけど、銀杏と荒吐Tシャツがいるあたり山形というか東北だよなー。
入場する時、仙台一隅の時と同様に「ダイブ、物を投げる行為は厳禁です」チラシを頂いたよ。ご苦労様です。
うん、やはりダイブ続出だったけどね。
「田舎はセッ○スしか娯楽ないでしょ?」と失礼発言飛び交う中、ヒダカさんが
「あそこの『昭和ミュージック』行った?CDすごいよ。東京にはない品揃え。
俺、思わず7万円くらい買っちゃったよ。
ああいうお店で、音楽、教えて貰いなさい」って言ってて、なんかちょっと嬉しかったな。
「『BOYZ OF SUMMER'07』(ビークル主催イベント。淡路島)は結局赤字だったし。だけどイベント、山形とか岩手とかでやりたいんだよね。君らの熱意があれば!!だけどね(笑)君らからもプロモーターさんに言ってください」
ビークルは聞かず嫌いしていたバンドだったんだけど、友人が勧めるのでARABAKIで聞いてみて「いいじゃん!」と思った。ワンマン、しかもこんな近くで見られて楽しいwww。後ろで大人しく見てようと思ったのに、前へ出て、汗でベトベトだよ。
住宅街の中にあるライブハウスではよくあることなんだけど、セッションも21時までしかライブやっちゃいけないんですよ。これは絶対的なルールーで、今後もライブハウスが存在し続けるには守らなければならないこと。
終幕後、みんなのアンコールで戻ってきたヒダカさんも事あるごとに時計をチラチラ眺めている。時間は絶対守らなきゃいけない事は、本人も観客も分かっている。
そしてアンコールで予定していた2曲を終えた時、
20時50分。
時計を見たヒダカさんが、にかっと笑って言った。
「もう1曲、やっちゃおうか?」
会場がどっと盛り上がって、「なんの曲、聞きたいか言ってみろ!!」と言われたら、もうみんな自分勝手に聞きたい曲言って、全然まとまらない(笑)
結局、最後にラブディスをやってくれたよ。
ライブが終わって、家に帰っても、真夜中過ぎても、興奮して全然眠れなかった。
だからパソコンを付けてネットしていた。
12月にGOINGのワンマンに行くことにしたので、半ば暇つぶしでそこの公式HPに行ったら、『松本素生からの手紙』というのがあった。
9月17日にZEPP SENDAIであった『仙台一隅』
この時の銀杏BOYZのステージ。
この時のGOING UNDER GROUNDのステージ。
そして、「銀杏を見ていると彼らのステージを見てると、『お前らは本気で歌を歌っているのか?』と突きつけられる。俺は、本気で良い歌を歌えているんだろうか?」と自問するGOING松本の発言。
いろんな事が頭を駆けめぐってなんか涙が出てきたよ。
そして翌10月7日。
第1日曜はスカパーの無料開放日で、この日再放送のフジ721『東京環境会議』を見るのが楽しみだったんだ。
たしか『東京環境会議』の初回放送はスネオのZEPP TOKYOのライブ放送の時あたり。でも、正直いうと、あの時は『東京環境会議』に全然興味なかったよ。その月はフジ721の契約していたから、いつでも見放題だったのに全く見ようともしなかった。
でも、あの時見たいとも思わないのに、「お金を払っているからもったいない」みたいなチンケな考えでダラダラと見ないで良かった。あの時見ても、多分私は何も感じなかったと思うから。
今回『東京環境会議』が再放送された事が、ものすごい嬉しかったんだ。
どうしても銀杏BOYZが見たかったから。
『光』を、歌っていた。
そのテレビで放送している銀杏のライブを、全神経を集中して見ていたら、なんか銀杏以外の目立つモノがなんか視界に入るんだ。
なんだと思ったら、箭内道彦がカメラ小僧のようにステージ脇で写真を撮っている樣子だったよ。
あんたどんだけ好きなんだよ(笑)
私も好きだけどね
なんかおかしくて涙が出てきたよ。
12月には、GOING UNDER GROUNDと銀杏BOYZのライブに行くよ。
楽しみだ。
本当に楽しみだ。
覚悟して見に行こう。
山形のミュージック昭和セッション(MAX300人)と
酒田のMUSIC FACTORY(MAX250人)の2カ所。
……一応、あるよ(弱気)
山形南校から徒歩5分のところに「ミュージック昭和」っていう楽器とかCD売っているお店があって、その20m位離れた所にホール&スタジオがある。それが「ミュージック昭和セッション」。
この「ミュージック昭和セッション」は、銀杏の峯田とあびちゃんが初めて会った場所ですよ。大学1年で山形に帰省していた峯田(当時童貞)と、セッションで300人集めてワンマンライブしていた高校3年のあびちゃん(当時童貞)。
それから約11年後。
2007年10月6日の昭和ミュージックセッションも満員でした。
BEAT CRUSADERS tour ''EPop MAKING SENSE 2007''
14℃とちょっと肌寒いなか(半袖Tシャツ着ている人は寒さに震えながら)、駐車場で整理番号順に並んでいる所に、ギターを持った少年や少女が自転車でやって来てた。彼らは練習スタジオのある2階まで行って、寒さと期待に震えている大人達を面白いものを見るように笑いながら見ていた。
300人しか見られないライブ。
ビークルのTシャツ着ている人がほとんどだけど、銀杏と荒吐Tシャツがいるあたり山形というか東北だよなー。
入場する時、仙台一隅の時と同様に「ダイブ、物を投げる行為は厳禁です」チラシを頂いたよ。ご苦労様です。
うん、やはりダイブ続出だったけどね。
「田舎はセッ○スしか娯楽ないでしょ?」と失礼発言飛び交う中、ヒダカさんが
「あそこの『昭和ミュージック』行った?CDすごいよ。東京にはない品揃え。
俺、思わず7万円くらい買っちゃったよ。
ああいうお店で、音楽、教えて貰いなさい」って言ってて、なんかちょっと嬉しかったな。
「『BOYZ OF SUMMER'07』(ビークル主催イベント。淡路島)は結局赤字だったし。だけどイベント、山形とか岩手とかでやりたいんだよね。君らの熱意があれば!!だけどね(笑)君らからもプロモーターさんに言ってください」
ビークルは聞かず嫌いしていたバンドだったんだけど、友人が勧めるのでARABAKIで聞いてみて「いいじゃん!」と思った。ワンマン、しかもこんな近くで見られて楽しいwww。後ろで大人しく見てようと思ったのに、前へ出て、汗でベトベトだよ。
住宅街の中にあるライブハウスではよくあることなんだけど、セッションも21時までしかライブやっちゃいけないんですよ。これは絶対的なルールーで、今後もライブハウスが存在し続けるには守らなければならないこと。
終幕後、みんなのアンコールで戻ってきたヒダカさんも事あるごとに時計をチラチラ眺めている。時間は絶対守らなきゃいけない事は、本人も観客も分かっている。
そしてアンコールで予定していた2曲を終えた時、
20時50分。
時計を見たヒダカさんが、にかっと笑って言った。
「もう1曲、やっちゃおうか?」
会場がどっと盛り上がって、「なんの曲、聞きたいか言ってみろ!!」と言われたら、もうみんな自分勝手に聞きたい曲言って、全然まとまらない(笑)
結局、最後にラブディスをやってくれたよ。
ライブが終わって、家に帰っても、真夜中過ぎても、興奮して全然眠れなかった。
だからパソコンを付けてネットしていた。
12月にGOINGのワンマンに行くことにしたので、半ば暇つぶしでそこの公式HPに行ったら、『松本素生からの手紙』というのがあった。
さかさまワールド並びにNEW ALUBM「おやすみモンスター」によせて
GOING UNDER GROUNDは、メジャーから音源をリリースするようになって6年が経ちました。
(中略)
このバンドは地元の幼馴染みで作ったということもあり、この6年の年月の中で自然とGOING=青春・仲良し・胸キュンなどの分かりやすいイメージが尽きました。そしてそれらが次第に僕らの音楽に足枷のように付きまとうようにもなりました。本当に伝えたい事を伝えきれない自分達の音楽に・バンドに・自らもどかしさを抱くようになっていました。そして「僕らは友達だから・・・」ではバンドは成立しないところに来ていました。
そしてNEW ALUBM「おやすみモンスター」のレコーディング。
楽曲制作と同時に僕らがやらなくてはいけなかったのは、当たり前のようにCDをリリースし、当たり前のようにツアーに出て暮らしているミュージシャンぶってぬるま湯につかった自分を殺すことでした。そして僕らはもう一度、誰の為でもなくなんにも縛られず「僕らの音楽を作る」という意識の下にこの1年半音楽を作っていました。
そして、その中で生まれた楽曲の1つ「さかさまワールド」。(中略)この曲の中には、僕らがこれからも音楽を作り続けて行く上で必要なものが全てあるような気がしています。残念ながら僕ら5人はもう音楽という宇宙船がなければ、同じ時間を過ごす事が出来ません。だからこそ共に宇宙船の窓の外に広がる暗闇を照らすような光を歌っていくのだと思っています。
GOING UNDER GROUND/松本素生(Gt/Vo)
9月17日にZEPP SENDAIであった『仙台一隅』
この時の銀杏BOYZのステージ。
この時のGOING UNDER GROUNDのステージ。
そして、「銀杏を見ていると彼らのステージを見てると、『お前らは本気で歌を歌っているのか?』と突きつけられる。俺は、本気で良い歌を歌えているんだろうか?」と自問するGOING松本の発言。
いろんな事が頭を駆けめぐってなんか涙が出てきたよ。
そして翌10月7日。
第1日曜はスカパーの無料開放日で、この日再放送のフジ721『東京環境会議』を見るのが楽しみだったんだ。
たしか『東京環境会議』の初回放送はスネオのZEPP TOKYOのライブ放送の時あたり。でも、正直いうと、あの時は『東京環境会議』に全然興味なかったよ。その月はフジ721の契約していたから、いつでも見放題だったのに全く見ようともしなかった。
でも、あの時見たいとも思わないのに、「お金を払っているからもったいない」みたいなチンケな考えでダラダラと見ないで良かった。あの時見ても、多分私は何も感じなかったと思うから。
今回『東京環境会議』が再放送された事が、ものすごい嬉しかったんだ。
どうしても銀杏BOYZが見たかったから。
『光』を、歌っていた。
そのテレビで放送している銀杏のライブを、全神経を集中して見ていたら、なんか銀杏以外の目立つモノがなんか視界に入るんだ。
なんだと思ったら、箭内道彦がカメラ小僧のようにステージ脇で写真を撮っている樣子だったよ。
あんたどんだけ好きなんだよ(笑)
私も好きだけどね
なんかおかしくて涙が出てきたよ。
12月には、GOING UNDER GROUNDと銀杏BOYZのライブに行くよ。
楽しみだ。
本当に楽しみだ。
覚悟して見に行こう。
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